シングルセルナノポアシークエンスにより 生物学の新たな側面を探索

シングルセルのトランスクリプトームシークエンスは、健康な状態や疾患のある状態におけるトランスクリプ トームの不均質性プロファイリングに利用できる強力なツールです。これまではショートリードシークエンス 技術が用いられていましたが、同じトランスクリプト内の距離の離れたスプライシング現象を結びつける上で 原理的に限界があるため、トランスクリプトのレベルではほとんど情報を得ることができませんでした。 Oxford Nanopore Technologies 社の技術をはじめ、ロングリードに対応したシークエンスの登場により、 シングルセルシークエンスは新時代に突入しており、トランスクリプトをアイソフォームレベルで調べることが できるようになりました。

ロングリードを用いれば、選択的スプライシングと遺伝性突然変異 のペアを簡便に検討できます。このことは、New York Genome Centre を拠点とする Dan Landau のチームが明らかにしています。 同チームは、スプライシングファクター遺伝子SF3B1 の体細胞変異 (骨髄性白血病で特に顕著に認められるドライバーの一部)とそれが トランスクリプトームに及ぼす影響との関係を調べています。スプラ イシング異常の結果、造血細胞分化障害では SF3B1 変異が発現 しますが、その正確な機序は解明されていませんでした。骨髄細胞 系列でスプライシング異常を引き起こす変異を調べることが困難で あるのは、分化の際に幅広い種類の前駆細胞が存在するだけでなく、 野生型細胞とSF3B1 変異細胞には識別できる細胞表面マーカーが 存在しないという理由があります。また、3' 末端側または 5’末端側 にバイアスが生じるショートリードシークエンスによるシングルセル 解析には、アイソフォームレベルでの変化を評価できるだけの精度 がありません

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図 1 GoT-Splice ワークフローを示した図(引用元:Gaiti et al. 1 )。ナノポア 技術を用いた完全長cDNAシークエンスをGenotyping of Transcriptomes (GoT)と組み合わせることにより、シングルセルレベルで体細胞変異と 選択的スプライシングを同時にプロファイリングできます。

そこで同チームは、遺伝子発現、細胞表面タンパク質マーカー、 体細胞変異ジェノタイピングを同時にプロファイリングするための シングルセルワークフローである Genotyping of TranscriptomesSplice(GoT-Splice、図 1)を開発しました。さらに、PromethIONTM でロングリードを作成することにより、同じシングルセル内のトランス クリプトアイソフォームを調べることに成功しました1 。重要な点として、 完全長ナノポアシークエンスを用いた場合には、検出できた細胞 当たりのスプライス部位数が 4 倍になり、「ショートリードシークエンス を用いた場合のカバレッジは 3’末端側にバイアスが生じたのに対して、 トランスクリプト全体を通じてカバレッジの均一性が高く」なりました (図 2)

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図 2 ERGIC3 遺伝子のシークエンスカバレッジプロット(引用元:Gaiti et al. 1 )。 ナノポアのロングリードを用いた GoT-Spliceではショートリードシーク エンス(オレンジ)と比較して、検出できる細胞当たりのスプライス部位 数が大幅に増加し(右上)(青)、スプライス部位全体を通じてシークエ ンスカバレッジの均一性が高くなります

同チームは、赤血球前駆細胞に方向づけられた細胞ではSF3B1 変異 が豊富に存在することを確認しており、SF3B1 による赤血球形成異常 の表現型に関する文献の記載と一致しています。ナノポアシーク エンスを GoT に組み込むことにより、「SF3B1 変異が細胞種に特異的 なミススプライシングを引き起こすことが示され」ました。赤血球 系列では、SF3B1 変異細胞に細胞種特異的な隠れた 3’スプライス 部位の明らかな利用が認められ、細胞周期に関連する遺伝子に 影響が及ぶことが確認されたということです 1 。

"ショートリードシークエンスは、 完全長 RNA アイソフォームとスプライ シング異常のマッピング能に限界が ある 1"

地球の反対側でも、クイーンズランド大学の Rachel Thijssen 博士が ナノポアシークエンスを用いて、血液がん、特に慢性リンパ性白血病 (CLL)と、再発時にベネトクラクスに対する抵抗性が生じる背景に ついて研究を進めています 2 。ベネトクラクスの薬理作用は、生存 促進性タンパク質 BCL2 を阻害し、最終的に白血球細胞のアポトー シスを引き起こすというものです。寛解率は高いものの、最終的には 有効性の低下が認められます。Thijssen らは、腫瘍の不均質性に ついて正確な見取り図を描くため、ベネトクラクスの単剤療法を実施 した CLL 患者から採取したサンプルをシングルセルシークエンス法に より調査しました。Landau のチームと同じく、Thijssen 博士もナノポア のロングリードを使用して変異を評価し、シングルセルのレベルで トランスクリプトの変化との関連を検討しています。その結果、アポ トーシス促進性遺伝子NOXA の非機能的トランスクリプトなど、ベネ トクラクスに対する抵抗性表現型の原因となる可能性があるものの、 これまで「正しく評価されていなかった」数々の異常なスプライシング 現象が確認されました。Thijssen の研究結果から、完全な抵抗性が 発現するのを防ぐために、ベネトクラクスは期間を限定して投与する 必要があるという考え方が裏付けられています 2。

両チームとも、体細胞変異をシングルセルのレベルでトランスクリプト の変化と結びつけることがいかに効果的であるか、完全長トランスク リプトアイソフォームを取得する上でロングリードがいかに重要である かを示しています。

"[Oxford Nanopore 社の]ロングリード シークエンスにより、同じ mRNAトランスク リプトの全体を通じてさまざまなスプライシ ング現象を定量化することも可能となり… ロングリードシークエンス独自の利点が 示された"

参考文献

  1. Gaiti, F. et al. Single-cell multi-omics defines the cell-type specific impact of splicing aberrations in human hematopoietic clonal outgrowths. bioRxiv. 495292 (2022).

  2. Thijssen, R. et al. Single-cell multiomics reveal the scale of multi-layered adaptations enabling CLL relapse during venetoclax therapy. Blood. 2022016040 (2022).